ダイバーシティを考える。その意義と難しさ。

ダイバーシティとは

最近、ダイバーシティという言葉をよく耳にしませんか?ダイバーシティとは、英語のdiversity=多様性のことです。最近よく使われるダイバーシティは、私たちが作る社会の中で、男も女も、大人も子供も、障がい者も健常者も、日本人も外国人も、みんながお互いを尊重することを意味しています。

なぜダイバーシティは必要か。その意義について

ダイバーシティの意義は、私たちが作る社会の中に、多様性を受け入れて、いろんな考え方を取り入れる事で、イノベーションを生み出し、これからの時代にあった新しい社会を創り出していくことです。

これまで、日本社会は日本人男性中心に作り上げてこられたといっても過言ではありません。

その日本人男性が、みんなの立場を完全に理解して、法律や社会資本(例えば、公共施設)を作り上げてくれれば良いのですが、自分が知らないものに理解を示せないのが人間です。

だから、日本に住む色んな立場の人が、それぞれの立場で自分の意見をあげていくことはとても大切なことなんです。

ダイバーシティの難しさ

では、これからの社会の役に立つダイバーシティをどんどん推進していけば良いではないかと思うかもしれません。

でも、私はタイトルにも掲げたように、ダイバーシティには難しさもあると思います。

小学5年生の時に体験したこと

私が、小学5年生の時、友達と一緒に2年生の教室に、2年生が作ったと思われる赤いポストを見つけました。

とても立派に作られていて、私は目を惹かれました。

そこで、私はその場にいた2年生の子に、「その赤いポスト、使わないなら頂戴」と聞くと、二つ返事で「いいよ」と許諾をもらいました。

ところが、私は友達と一緒に、それを持って帰っている途中で、蹴り壊してしまいました。

翌日、2年生担任の先生に私と友達は呼び出され、あの赤いポストはこれからの授業で使うものだと、すごい剣幕で叱られて、至急作り直すよう命じられました。友達と一緒に放課後作り直しをしました。

その叱られる際、2年生担任の先生に「2年生の許諾はもらいました」と伝えましたが、その先生から「2年生から見たら、5年生はとても怖く、頼まれたら断れないもの。自覚しなさい。」と言われました。

当時の私は納得がいかず、ふてくされていましたが、いまの私は金言として肝に銘じています。

お互いの立場は見えないもの

つまり、何が言いたいかというと、お互いの立場は見えにくいものと言う事です。

私の場合でいうと、立場の強いのは5年生だった私です。その立場の強い方から、立場の弱い方は、本音と裏腹のことを答えています。

このように、ダイバーシティを導入する際、根本的に導入しないと、立場の強い方から立場の弱い方へ、「何が困ってるんだ?」と聞いても、「何も困っていません」という返事しかもらえないということです。

世代間交流だってうまくいっていない

会社を例にとっても、幅広い年齢の方が存在しています。そこでは、ちゃんと全員の意見が反映される仕組みがあるでしょうか。若手は若手の意見としてきいてないでしょうか。

世代間交流だってうまく出来ていない日本人にとってダイバーシティが上手にできるでしょうか。

そもそも、色んな世代が存在する団体でも、結局は自分と同じ年代で、趣味の合う方と交流しますし、違う価値観を持った人とは交流そのものが難しいはずです。

ましてや、男性、女性といった性別の違いや、特性のある障がい者と健常者、育った文化そのものが違う外国人など、それが複雑に交錯する現実社会ではなおのことです。

私はそこにダイバーシティの難しさがあると思っています。

まとめ

ダイバーシティは新しい社会を創造していく上で、とても意義のある取り組みだと思いますが、そこにはお互いに理解のできない難しさや、力の強い人がいると、その人の意見が強く影響されてしまう難しさがあると思います。

なので、自分の理解が難しい人であっても、理解しようとする気持ちと、組織の中でそもそも立場の強い人は作らない、という2つがないと、本来の目的の実現は難しいと思います。

お互いの立場が理解できて、お互いに思いやりの心がもてる社会に早く変わることを切に願います。

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